【訃報】歌手・ジョー山中が死去 がん公表後も被災者支援に協力
映画『人間の証明』のテーマ曲などで知られる歌手・ジョー山中(じょーやまなか)が7日午前6時56分、肺がんのため神奈川県横須賀市の病院で死去した。64歳だった。
山中は昨年3月に肺がんであることを公表。
「歌を取ったら人生、何も残らない」
と手術を拒み、抗がん剤や放射線治療を続けてきた。
がん発見当初の経過は順調で、昨年8月にはライブへ出演。
今年3月にも盟友・内田裕也(うちだゆうや=71)らと東日本大震災の被災者支援のための募金活動に参加し、歌声を披露していた。
しかし、7月に入ると容態が急変。
同19日には、一時心肺停止状態となっていたことが報じられ、同21日行われた俳優・原田芳雄の通夜では、内田が、
「重体で大変なんだよ」
と明かしていた。
その後は小康状態を保っていたが、7日早朝に容態が急変。
医師らが懸命に心臓マッサージを行ったものの、夫人や子供たちに見守られながら静かに息をひきとったという。
ジャマイカ人と日本人のハーフとして生まれた山中は、プロボクサーを経て、1963年に俳優デビュー。
1968年、内田の誘いに応じる形でロックバンド『フラワー・トラベリン・バンド』にボーカルとして参加。
東洋的サウンドと英語詞が合わさった独自の音楽性が高く評価され、米国やカナダでも公演。
海外進出するバンドの草分け的存在となった。
1973年の解散後はソロとして活動。
1977年に出演した映画『人間の証明』の主題歌を担当し、50万枚を超えるヒットを記録した。
近年はレゲエ作品を多数発表していたほか、海外でのボランティア活動をライフワークとしていた。
葬儀・告別式は、12日午前11時から東京・品川のキリスト品川教会で営まれるという。(伊原)
山中は昨年3月に肺がんであることを公表。
「歌を取ったら人生、何も残らない」
と手術を拒み、抗がん剤や放射線治療を続けてきた。
がん発見当初の経過は順調で、昨年8月にはライブへ出演。
今年3月にも盟友・内田裕也(うちだゆうや=71)らと東日本大震災の被災者支援のための募金活動に参加し、歌声を披露していた。
しかし、7月に入ると容態が急変。
同19日には、一時心肺停止状態となっていたことが報じられ、同21日行われた俳優・原田芳雄の通夜では、内田が、
「重体で大変なんだよ」
と明かしていた。
その後は小康状態を保っていたが、7日早朝に容態が急変。
医師らが懸命に心臓マッサージを行ったものの、夫人や子供たちに見守られながら静かに息をひきとったという。
ジャマイカ人と日本人のハーフとして生まれた山中は、プロボクサーを経て、1963年に俳優デビュー。
1968年、内田の誘いに応じる形でロックバンド『フラワー・トラベリン・バンド』にボーカルとして参加。
東洋的サウンドと英語詞が合わさった独自の音楽性が高く評価され、米国やカナダでも公演。
海外進出するバンドの草分け的存在となった。
1973年の解散後はソロとして活動。
1977年に出演した映画『人間の証明』の主題歌を担当し、50万枚を超えるヒットを記録した。
近年はレゲエ作品を多数発表していたほか、海外でのボランティア活動をライフワークとしていた。
葬儀・告別式は、12日午前11時から東京・品川のキリスト品川教会で営まれるという。(伊原)
関連ニュース
がん闘病中のジョー山中が一時心肺停止に…歌手・ジョー山中、鎌倉の自宅全焼! 家族4人は逃げて無事!
注目ワード
【人物】ジョー山中
【キーワード】
ジョー山中 死去 訃報 肺がん 内田裕也 品川
【ニュースカテゴリ】
出産 破局 離婚 エンタメ 失言 ジャニーズ 熱愛 結婚 妊娠 不祥事 暴言
最新エンタメニュース
サイトのご案内へ
無制限99円 取り放題[TOP]
JASRAC許諾番号
6834131007Y41011
Blau
6834131007Y41011
Blau