波田陽区、今でもエンタ時代の着ボイス収入がある! 当時の急激な月収の増え方とは?
お笑い芸人の波田陽区が、インターネットメディア『CHANTO WEB』で、大ブレイクを果たした2004年の激動の一年について詳細に語っている。元々、30歳までに売れなかったら芸人を辞めようと思っていたが、30歳になる3か月前、日本テレビ系『エンタの神様』のオーディションを受けて出演を果たすと、「〜ですから! 残念!」のフレーズが笑いを生み、一気に世間の注目を浴びた。
その光景を見た『エンタの神様』総合演出担当者が、「波田を毎週出そう。しばらくはエンタだけでやらせよう」と、番組との"専属契約"をマネージャーと締結。しばらくは同番組でしか観れない、ただし毎週出演する芸人という存在に。
最初のギャラが3万円だったところから、10万、20万、40万と倍々ゲームのごとく急増していった。2004年4月以降、波田陽区の生活は激変。全然仕事が無く暇を持て余す生活から時間が無さすぎる多忙な生活へと変わった。
ピークを迎えたのは2004年10月以降。CMや雑誌インタビューの仕事も増え、所属事務所に編集者が立ち代わり入れ替わり訪れ、同じような質問に何度も答え続ける時間が続く。
そして、CM出演も果たし、ギャラが一気に振り込まれた時、最高月収となる2800万円という数字が通帳に記載され、波田陽区は言葉に出来ないような感情に包まれた。
当時はまだガラケーが一般的で、着ボイスが流行っていた。波田陽区の着ボイスは飛ぶように売れ、1つ100円でダウンロード販売したものが数百万円単位の売上に達した。
「未だにちょっとお金が入りますからね」と、現在もガラケーを使用している人がどこかのサイトで着ボイスをダウンロードしており、ちょっとした小遣いが振り込まれるのだとか。
2005年に突入すると一気に仕事が減り始め、大ブレイクから半年足らずであっという間に"過去の人"扱いに変わったという。一発屋芸人と称される者はたくさんいるが、波田陽区ほど激動の生活を経験した芸人はほかにいないのではないか。
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