立川談志の長女・松岡ゆみこの素性は? 親子関係は最悪?
昭和を代表する落語家として、"江戸落語四天王"の一角に君臨した立川談志。彼が溺愛した娘・松岡ゆみこ(本名:松岡弓子)は、父親の死後、本格的にタレント活動を再開した。

TBS系『中居正広の金曜日のスマたちへ』に松岡ゆみこが出演した際、父親との思い出を赤裸々に語っていた。立川談志が当時27歳の1963年に生まれた松岡ゆみこは、幼少時から立川談志が行く高級クラブに同伴させられるなど、常人離れした生活を送った。
テレビ番組で見せる破天荒な人柄を、彼女は嫌っていた。参議院選挙に当選して沖縄開発庁政務次官に就任するも、二日酔いで会見に出席。「仕事より酒が大事」と考え、僅か在任36日で辞任して自民党を離党した。彼女は学校で"ダンムス"と誂われた。

自宅でも立川談志人柄は変わらない。娘が見ているテレビ番組を「うるせー!」と言って消したり、近所の工事に文句をつけた。口癖は「もったいない」で、刺身のつま(添え物)を大量に持ち帰って味噌汁の具に入れ、食べ残しの刺身とイチゴジャムとチョコジャムの残りを混ぜたカレーを作ったことも。

思春期になると松岡ゆみこはグレ始め、家出を繰り返す生活。高校を一年間で中退。15歳の時に反発してディスコに行くと、立川談志は娘を連れて新宿警察署に「不良ですから逮捕してください」と突き出した。
激しい親子喧嘩に発展した日もあったが、その時、彼が「俺の子だもんなぁ。言っても聞くわけないか」と悟り、以降何も言ってこなくなったという。彼は娘がグレた事を加賀まりこに相談していた。

上記で"タレント活動を再開"と記したのは、松岡ゆみこはかつて1983年、一度芸能界デビューを果たしている。一年で引退した後、27歳で年上の実業家と結婚。ところが、彼女が子宮頸癌だと発覚。選択を迫られた時、立川談志は「いずれ生まれるかどうかわからない孫よりも弓子に生きてもらいたい」と声を掛けた。
それを聞いた彼女は、子宮全摘出手術を受けた。

30歳で東・六本木にクラブをオープン。1999年から銀座で「Tee Off」を経営。クラブのママとなった。客に向けて立川談志は「馬鹿な娘ですが頑張っているので助けてください」と直筆のメッセージを書いたこともある。
今では父親が大好きだと語る松岡ゆみこ。それは、余命宣告を受けた後、自宅で彼の妻、松岡ゆみこの母親にあたる則子さんへの手紙を発見したから。

「悲しかったでしょう シャボン玉のように消えてしまって あんなにがんばったのに
でも、でもネ 則子クンには僕がいるのです
誰よりも何よりも則子クンが好きな僕クンが・・・
いつかこれに代わる喜びがきた時 小さな思い出になるものです
この次の子供が出来た時 愛情が2倍になるでしょうと思っています
なぜならば このことがなかったら あまり喜びがわからなかったかもしれませんもの
小さな悲しみを超えると 大きな素晴らしい喜びが待っています」

則子夫人は、松岡ゆみこが生まれる前の子を死産した。だからこそ、立川談志彼女を溺愛したのである。父親の言葉を胸に閉まっておきながら、テレビ出演等の依頼を引き受け、およそ30年ぶりに活動を再開した。
2012年度にはフジテレビ系『とくダネ!』のコメンテーターを務めた他、バラエティー番組にも出演。今後の活躍が楽しみである。
◆関連ニュース
IMALUが芸能界ナメすぎ! デビュー時は「大人達が動いてくれた」
草刈正雄の長女・草刈紅蘭の超エロエロ画像が沢山見れるページとは!?
多岐川華子が友人にこっそり明かした、仁科克基と離婚した本当の理由!
仁科克基が激白! 父・松方弘樹のギャラ「1本●00万円」 豪遊生活を可能にした金銭事情!
千代の富士の娘・秋元梢、結婚寸前で破局していた!
◆新着記事
◆ランキング
◆カテゴリー
芸能・ゴシップ| テレビ| イケメン| ドラマ| 海外・ハリウッド| 着メロ

サイトのご案内へ
無制限99円 取り放題[TOP]

JASRAC許諾番号
6834131007Y41011
Blau