萩本欽一のテレビ番組を常識を変えた偉大な伝説を一挙公開!
"欽ちゃん"の愛称で親しまれ、1970年代から現在に至るまでバラエティー史に残る活躍を見せてきたお笑い芸人萩本欽一。かつて、出演する番組の平均視聴率が合計100%を上回り"視聴率100%男"と呼ばれたのはあまりにも有名。4月9日に放送されたTBS系『もてもてナインティナイン』では、さらに知られざる伝説に迫った。

新人時代、TBSの生放送番組に出演した萩本欽一は提供読みを噛みまくり、同局を干されてしまう。その時出会ったのが坂上二郎で、コント55号を結成。彼らの有名なドタバタコントは、テレビ局のカメラがまだ性能が悪く2?u以内に動きを抑えなければならないところ、大きく指定された幅を飛び出し、"テレビ画面から消える"コンビだと言われた。

1970年代は、ゴールデンタイムの番組はドラマや映画・音楽番組が殆ど。ギャラも、役者が映画1本の出演料300万円に比べ、お笑い芸人は番組1本3千円。台の営業はなテレビ出演だけで生活出来るようにしたいと思った萩本欽一は、敢えて営業の仕事を全て断り、テレビ局にギャラ交渉。こうして現在、多くのお笑い芸人テレビ番組で活躍する土台を作った。

日本テレビ系『スター誕生!』では審査の合間に観客を退屈させないため、いわゆる"客イジり""素人イジり"を開始。最初は本当に時間潰しに過ぎなかったが、次第に客イジりの模様もOAされるようになる。
また、萩本欽一と観客が対戦して遊んだゲームが「あっち向いてホイ」。元々地方で生まれたゲーム萩本欽一が初めてテレビ番組で取り入れ、全国に広めた。他にも「古今東西ゲーム」「野球拳」、「ウケる」「天然ボケ」「裏番組」といった今では当たり前に使われる言葉も、萩本欽一が言い出したもの。

メイン司会者の横に女性アシスタントが並ぶ構図も、彼がフジテレビ系『オールスター家族対抗歌合戦』司会のオファーが来た時、一人だと上手く出来ないとの理由で局側に頼み、朝加真由美の起用が決定する。昨今のバラエティーで、お笑い芸人司会を務め、女子アナやタレントがアシスタントを務めるパターンの礎だ。

前述の通り、ゴールデンタイムはドラマ全盛だった時代、特に21時台はバラエティー番組が一切無かった。萩本欽一冠番組をやるなら絶対21時台だと決めており、ついにテレビ朝日系で『欽ちゃんのどこまでやるの!?』がスタートする。
『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の視聴率獲得のため、スター俳優をゲストに呼びたいと思ったが、売れっ子役者は皆ドラマ優先。スターを呼べないなら自らスターを生み出そうと立ち上げたのが、欽ちゃんファミリー。

佐藤B作や風見しんご出演したTBS系『欽ちゃんの週刊欽曜日』は初回放送までにリハーサルを半年以上行ったという。若手の頃TBSに干された仇を"恩"で返すため、絶対に失敗出来ないと思っていた。萩本欽一は、稽古中「聞いちゃダメ」が口癖。よって風見しんごらは、NGを出されてもどこがNGか自分で考えなければならなかった。

こうして、月曜21時に『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』、水曜21時に『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、金曜21時に『欽ちゃんの週刊欽曜日』と、念願の21時台に3つの冠番組を持った萩本欽一。その合計視聴率が100%超えしてわけである。
もし彼がお笑い芸人になっていなかったら、現代のバラエティー番組は大きく様相が違っていたかもしれない。間違いなくテレビ界の生ける伝説の一人である。
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